子供が勉強しなくてイライラする!お金の話をして即時解決しましょう①

「勉強しなさい!」と口をすっぱくするのにお疲れでしょうか。
タイトル通り、解決策は簡単。
子供とガチでお金の話をすることで、速攻で問題は解決します。
えっ、何?
子供にお金の大切さを教える、とかそういうこと?
いえ、違います。もっと現実的な話です。
その会話の土台作りとして、今日は一風異なる角度から、お金の概念について見ていきましょう。
お金の話は卑しい。それ、本当ですか?
「お金の話をするのは卑しいこと」というのはなぜか驚くほど強く日本に根付いている観念です。
お金の話題全体がタブー視されている感覚があります。
私の父親も日本人だったので、「金の話はするな」と言われた記憶がありますし、「外人は金とセックスの話しかしねぇ」と、会う人会う人に言ってまわっていたのも覚えています。
仕事が絡んだ話題になるとさらに日本人のお金嫌い(本当は嫌いじゃないんですよ、誰も)が浮き彫りになります。
A「今日も残業でさぁ」
私「でも残業で稼げてるんでしょ?」
A「いや、ほら、私が作業が遅いってのもあるしさぁ。それに経験が大事だからさ。お金の代わりに経験をさせてもらってるんだよ。これも私の成長のため。」
私「本気で?!」
お金が必要だから仕事をしているのではないのですか?!
私は日本の大企業のグループ会社で働いた経歴を持っています。
「仕事はお金を稼ぐ手段。残業代は15分でもきっちりもらいます。」
はじめから私はこのスタンスをはっきりと取っていたので(さすがに社長面接時に公言はしませんでしたが)、徐々に飲み会には誘われなくなりました (゚ー゚;A
確かに、会社に全身全霊を注ぎ込んで膨大な残業をタダ同然でし、数年後に会社を辞め、会社生活で得たものを糧にして起業した人たちを数人知っています。
凄いパワーだなぁ、と思います。
でも、タダ働きする必要ないでしょ?と私は思うのです。
企業でタダ働きをする西欧人に、私は未だかつて出会ったことがありません。
残業代を要求しちゃいけない空気がある
ありますね、あります。
そして、
お金のためだけに働いているのだと思われたくない
お金を必要としている、がっついている、と周りに思われたくない
いかがですか。
もしここで、「お金の話をオープンにして一切問題はない」という観念が一般的だと仮定したら、どんな風に社会は変わるでしょうか。
今ここで、想像してみてください。
投資の話も良し、ローンの話も良し、「将来〇〇がやりたいんだけど、それには〇〇円くらい必要になるんだよね」という話も良し。
お金の話ができる環境。
「お金の話ばっかりして!」と眉間にしわを寄せられるのを心配することなく、具体的な数値をはじき出しながら、将来の計画について他人と話しができる環境。
果たしてその環境で、企業に勤める方たちの大半は、本当にタダ働きを同じように続けるでしょうか。
もしかしたらある社員は「〇〇を購入する予定なのでがっつりと残業代は頂きますが、絶対にこのプロジェクトを成功させると約束します!」と気合いの入れ方を変えるかもしれません。
別の優秀社員は、給与に不満があることをはっきりと上司に伝えることで、転職をする必要がなくなるかもしれません。
私は「お金の話をするのは卑しいこと」という観念が良いものであるとも、悪いものであるとも、思っていません。
ただ、更なる豊かさへの可能性を制限しているコンセプトだな、と感じます。
もしお金の話をオープンにして一切問題がない社会だったとしたら、今のご自身の生活にどんな新しい可能性が開けると思いますか。想像してみてください。
一人でも多くの若者に「お金の話はして良いもの」という観念を植え付けてあげれば、私は日本という国が良い意味でアグレッシブに変わっていくと、良い意味で世界で対等に戦っていけると、そう、信じています。
お金があれば、やりたいことができる。世界が変えられる。
私はスパルタ教育に限りなく近い教育を受けて育ちました。
その過程で勉強が嫌いにならなかったのが、奇跡なくらいです。
そして今、二度と経験したくはないその教育の何に感謝しているかと言えば、世界のいろんな場所でバックパック旅行ができた、自由なお金を産んでくれたこと。
格好良く言えば「教育は私に忍耐力を与えてくれた」やら「教養の大切さが分かった」やら、いっくらでも文言は浮かびます。
でも、一番現実味のある形で表現すれば、
教育は私に、好き放題する自由なお金を与えてくれた
これに尽きます。
こういう赤裸々な言い方をすると、日本では「卑しい」とか「浅い」と判断されますね。
でも、お金がいろんな可能性を与えてくれる媒体だ、というのは事実だと思われませんか。
スピリチュアルなことを追う人たちに良くあるのが「お金はいらない」という考え方。
そう言っている人たちに限って、本当に手元にお金が残らなくなり、心配するがゆえに精神的にも参って来る。その精神状態の結果、体にガタがやって来る。気付くと「スピリチュアリティはどうなったの?!」という状況にいます。
どんなにきれいごとを言っても、結局は、ボランティア活動、自然保護、動物保護、そういった社会貢献もすべて、お金が絡んで来るのです。
要は、自由なお金があれば、本当に社会貢献しようと思ったときに、動けるだけの資金がある。
逆にスピリチュアルだ、と言ってお金なしに生きている人たちは、いざというときにお金を借りる身になり、自由を奪われている。
私はこの状況を、世界のいろんなところで幾度となく、目にして来ました。
こう考えると、お金は無限大の選択肢をくれるツールだと思えて来ないでしょうか。
そして、お金がそういったツールであるのなら、オープンな会話を通じてお金を追い求めることが自然なことだと思えて来ないでしょうか。
果たして、お金の話題に対して「恥ずかしい」だとか「卑しい」だとか「悪」だとかいうレッテルは、今の社会に本当に必要なものなのか、私は疑問に思います。
さいごに
お金の話をするのは卑しいことですか。
お金が必要、と口にするのは卑しいことですか。
お金が好き、と宣言するのは卑しいことですか。
お金を使うのは悪いこと、お金を貯めるのは良いこと。本当ですか。
我が子とお金について話をするのは卑しいことですか。
当記事を通じて、お金について何か新たな気付きがあったことを願っています。
それでは明日から本題に入りますのでお楽しみに (^-^*)/